7月

 

―7月3日放送―

今回のゲストは、今井美樹さん。(ロケ地:妊娠中によく散歩で来ていた港区の教会)
80年代にデビューし、OLの教祖と呼ばれ、女性を癒してきた今井美樹さん。
この仕事へのきっかけは、「スチュワーデスになりたくて上京して、
知り合ったカメラマンさんの紹介でモデルのバイトをするようになった」そう。
音楽への出会いには、「実家がオーディオ専門の電気屋だったからいつもジャズが流れてた」と。
大ヒットとなった「PRIDE」には、「布袋さんに初めて書いてもらったんですけど、
スタジオで本人のいるときに初めて聴いて、「良くなかったら何て言おう」って思ってたけど、
最初の「私は今」の持ってる強さに感動して、そこでもう泣いてた」そうです。。

曲披露では、今回のベスト盤で新しく録り直した「野性の風」も。
出産をした後には歌を歌わない時期もあったそうで、
「いろんな事を乗り越えて、この曲をまた歌いたいと思った」そう。。

  

―7月10日放送―

今回のゲストは、CHEMISTRY
どこにでもいそうな若者が庶民のヒーローとなるワーキングクラスヒーロー。
「お互いの歌について」では、「今思うのは、人に届けようとする感性が似てますね」と。
川畑くんの音楽との出会いは、「小学校低学年とかで、親が聞いてる曲を口ずさんでた」そう。
堂珍くんは、「小さい頃に口ずさんでたんですけど、人前とかだとできなかった」そう。。
川畑くんは中卒ですが、「勉強が嫌いだったんで、フリーターやりながら歌手を目指してた」と。
堂珍くんは高卒ですが、「高校のときに先輩がやってるバンドを見たとき、
自分の力じゃ全然及ばないと思って、逆にやる気が出てきた」と。。
「もし、オーディションに落ちてたら?」には、
堂珍くんが「いつも最終選考で落ちてたんで、ダメだったら諦めるつもりでした」とのこと。。

曲披露では、Skoop On Somebodyの「ama-oto」をカバー。
この曲は、初めて2人で歌った曲で「テープとかを聴くと、当時のがむしゃらな感じが出てる」と。



―7月17日放送―

今回のゲストは、矢井田瞳ちゃん。(ロケ地:母校の関西大学)
地元に活動の拠点を置くアーティストが増えている昨今、
大阪に生まれて活動を続けるちゃんですが、活動規模は世界へと。
大学時代については、「サボろうサボろうとしてて、今思うと勿体無い事してましたね」と。。
プロになる前の活動については、「人に言うのが恥ずかしかったんで、隠れてやってました」と。
大学でギターを始めたというちゃん、
「挫折しそうになった事は?」には、「ギターは、嘘つかないんで」と一言。。
「My sweet darlinっていうのは、実際にいるの?」には、
「作ってた当時はいました」「これ歌うと思い出すんです」とのこと。。
「マーブル色の日」は、30分でメロディを作ったそうですが、
ちゃんのお気に入りは「朝 あなたが残した ぬるい珈琲」のところのようです。

曲披露では、ちゃんの憧れの人というヒートウェイブの山田洋さんと共演を。



―7月31日放送―

今回のゲストは、槇原敬之さん。
「世界に一つだけの花」の大ヒットには、「誰にでも当てはまる事だったので」
「ボクが歌うと理屈っぽくなってしまうので、彼らに歌ってもらえたからです」と。
「この曲で伝えたかった事」には、「人と人を比べないっていう事ですね」
「「あそこの家の子は頭がいいのに」とか良くないと思います」と。。
5歳のときに自分からピアノを習いだした
槇原さん、
両親については「1人っ子だったんで、母親の愛情は大きかった」
「父親は仕事に一点張りで、ちゃんと話すようになったのは最近」とのこと。
1999年に事件を起こしてしまった
槇原さん、
「テレビで裁判所に入る自分を見たのが恥ずかしさの極地でしたね」
「こっから歌う歌が肝になるなって思いました」と。。
槇原さんの今の目標では、「100年後にも廃れない音楽を作る事」と。。

曲披露では、最新アルバムにも収録されてる「Tag Team」を。
「家族って、そんなにキレイなものじゃなくて、
そんな人たちが集まって一緒にやっていくチームなんだと例えて、
いろいろありながらいがみ合ったりしてもいいと思うっていう曲を作りたくなった」とのこと。

 

8月

 

―8月7日放送―

今回のゲストは、GLAY。(インタビューは、TAKUROさんのみ)
上京については、「今思うと、自分が輝けるのは音楽しかないんだなっていう、
ポジティブな部分とネガティブな部分も含まれてたと思う」と。。
上京してからTERUさんと凸版で働いていたTAKUROさんでしたが、
やがてメンバー全員が離れて暮らすようになってからは、
「電気を止められてるメンバーとかに電報で連絡を取ったりしてた」そう。。
中々、GLAYとしての活動も滞らない日々が続いたそうですが、
「ライブだけは、途絶えてしまったらバンド自体がなくなる危険があったから続けてた」そう。
上京しての初ライブは観客が2人だったそうで、「当時のメンバーの彼女ですね」とのこと。。

TAKUROさんの著書の最初の一行「永遠なんてない」には、「良い意味も悪い意味も含めて」
「メンバーとも永遠はないし、いつも一曲一曲に何を後の人達に残せるかを考えてる」と。。
また、著書の中に書かれているGLAY時代の彼女については、
GLAYの150曲ぐらいの中の100曲以上は彼女がきっかけとなってますね」とのこと。。
GLAYがメジャーになった分、会えない時間も増えてしまい、距離も生まれたそう。
TAKUROさんは、「結局、自分の器が小さかったんでしょうね」と一言。。

曲披露では、「HOWEVER」では綾戸智絵さんのピアノでTERUさんがヴォーカルを。
「pure soul」には、忘れてはいけないピュアな気持ちが込められていて、
「以前はGLAYは4人だったけど、今はそれぞれ家庭もあるし、それぞれの人生もあって、
以前のようにはいかないけれど、この曲を演奏しているかぎりは4人は繋がってます」と。。

  

―8月21日放送―

今回のゲストは、堂本剛くん。
KinKi Kidsとソロの使い分け」には、
KinKiは、歌手から少し離れたところにアイドルがあるけれど、
ソロでは音楽を前提に置いて活動をしてます」と。
堂本剛は、アイドル・歌手・タレントのどれですか?」には、
「アイドルをやってて悩むのは、その道の職人さんと話をする機会があるときに、
向こうはその道一本で自分を表現しているけど、こっちはいろいろやってるところ」と。。
楽曲の製作に係わるようになった事には、
「前は、人から曲を褒められても自分は歌ってるだけなんで、「はい」としか言えなかった」と。
自分を取り巻く環境については、「アイドルって成長過程をあまり見せないもので、
作られてるものっていうイメージがあって苦しんでて、それが破れたのは去年ぐらい」とのこと。
最後には、鳥越さんが「彼に職業を聞いたんですが、彼は「堂本剛」と答えました」と。。

曲披露では、18歳のときに初めて作った「優しさを胸に抱いて」を。
ギターには、押尾コータローさんが参加してくれました。
3曲目の「WHEN A MAN LOVES A WOMAN」では、綾戸智絵さんと共演を。



―8月28日放送―

今回の「僕らの音楽」は、これまでの総集編未公開トークを。

Gacktさんの未公開では、Gacktさんの年齢についての話を。
460歳を超える年を好評しているGacktさん、笑いながら「適当に言ってください」と。。
「人はそれぞれの時間を生きてるんだから、年にしばられる事はないと思うんです」と。。

平井堅さんの未公開では、「平井さんにとって音楽とは?」の質問に「1番好きな事」と。
「飽きっぽい性格の自分が唯一飽きないのが音楽」
「よく同じ曲ばっかり歌ってて飽きないですかって言われるけど、全然飽きないですね」と。。

GLAYTAKUROさんの未公開では、「音楽を通して伝えたい事」について。
「自分の足でいろんな物を見て、目の前の人の気持ちを曲にするのが自分の天職だと思ってるんで」
「目の前にいる人へ歌っていきたい」とのこと。。



9月

 

―9月4日放送―

今回のゲストは、森山良子さん。(ロケ地:沖縄県 平和記念公園)
「さとうきび畑」の誕生のきっかけは、作者の寺島尚彦さんが38年前沖縄を訪れた際に、
さとうきび畑でガイドの方が「このさとうきび畑の下には、今も戦死者の遺骨がある」と言い、
そこで吹いた強い風が忘れられなくて、東京に戻ってからもこの痛みをどう表現しようかを
ずっと迷って「ざわわ」というフレーズが出てきたそうです。
今も戦争が終わらない現状には、
「誰もが平和を願ってるのに戦いが終わらないのが不思議でしょうがない」
「歌で出来る事があるなら歌っていきたい」と。
社会性を持った歌を歌う事については、「初めは、やっぱり楽しい歌を歌いたいと思ってたけど、
私にはそういう歌を歌う責任があると思ってから、しっかりさとうきび畑を歌おうと思いました」と。

曲披露では、「涙 そうそう」を世界遺産でもある勝連城跡で披露。
この曲は、22歳で死別した兄へと書いたものなんだそうです。
「さとうきび畑」では、10分を超える曲をそのまま披露してくれました。

  

―9月11日放送―

今回のゲストは、ポルノグラフィティ
ポルノグラフィティというバンドのネーミングについては、
「大阪では、インパクトのために皆すごいネーミングばっかりだったんで、
インパクトを付けるために付けました」とのこと。(当時の大阪No.1が「餃子大王」だったそう)
ただ、「デビューしてから地元の年上の人達に
「お前らのグループは、名前が言えない」って言われました」とのこと。。
因島での少年時代では、「山も海もあって、子供が遊ぶには良いところでした」
「江ノ島とかでビーチで焼いてる人を見ると、海に入れって思います」と。。
2人の出会いについては、高校時代にハルイチさんがヴォーカルとギターをやっていて、
コーラスを探していたところに「ウマイやつがいる」という事でアキヒトさんと出会ったそう。
そこで、アキヒトさんに歌ってもらったところ、
「全然自分よりうまかったから、自分はギターに引き下がりました」とのこと。。
高校を卒業した2人は、アキヒトさんが大阪で大学に一浪し、
ハルイチさんはTamaさんと組んだバンドで地区で優勝をして、
「そこで、自分らはメジャーにいけると勘違いしてしまいました」と大阪へ出る事に。
アキヒトさんも加わって、大阪でライブ活動を始めたところ、
2回目のライブでSonyの方から名刺を貰い、「また、勘違いしてしまいましたね」と。。
やがて、上京する事になった皆さん、下北沢でライブを始めたところ、
30人のお客さんが集まって「頑張ってたら、後で聞いたら全員スタッフだった」そう。。
数々の勘違いが生じて、今日までの道のりとなったポルノ
鳥越さんも「勘違いをポジティブに受け止めた結果、良い方向へ来たんだね」と。
そして、Tamaさんが脱退した事についての話を。
「最初に聞いたときに人生って言葉が出てきて、
もうそういうのを考える年になってきたんだなって思ったら、
彼には彼の人生があるんだからTamaを引き止める事はできないなと思いました」
「20代がすごく良い年だったんで、30歳を迎えるにあたってすごい考えるようになった」と。。

曲披露では、「アポロ」と「サウダージ」のアレンジが良かったですね。。



―9月18日放送―

今回のゲストは、女子十二楽坊。(ロケ地:奈良県の国宝でもある薬師寺)
インタビューには、揚琴のマー・ジンジンさん、琵琶のジャン・シュアンさん、
二胡のジャン・リーチュンさん、笛のスン・イエンさんの4人が登場。
子供の頃から英才教育を受けた女性によって、2001年6月に中国で女子十二楽坊を結成。
「子供の頃からそういう教育を受けられるという事は、貧しくはない環境だったんですか?」には、
「普通の一般的な家庭なんですが、親が楽器を習わす事を大事に思ってくれていました」と。
それから音楽学校へと進んだ皆さんは、オーディションを受ける事になりますが、
「そこでプロになれる人となれない人では、何が違うと思いますか?」では、
女子十二楽坊のオーディションにおいては、技術の面が重要視されていました」とのこと。
「日本で大ヒットした理由って何だと思いますか?」には、
「中国の古典楽器を演奏して日本で受け入れられたという事は、
両国の文化には通じるモノがあるんだと思いました」とコメントを。。
鳥越さんからは、「日本人は西洋音楽に慣れていたので、新鮮に思えたと思います」と。。
「日本と中国のファンの違い」では、
「日本は静かに真剣に聴いてくれて、中国は気に入ったフレーズがあると立ったりします」と。
先月に全米デビューした女子十二楽坊の全米でのプロモーションの様子を。
「お客さんたちをビックリさせたい」という皆さんのライブは、大成功となってました。。
これからの目標では、「女子十二楽坊の音楽を世界に届けていきたい」と。。

曲披露では、「ソール・アラウンド・ザ・サン」で女子十二楽坊からの希望により、
リズムパフォーマーのTHE STRIPESとの共演が実現しました。。



―9月25日放送―

今回のゲストは、175R。(ロケ地:上京した頃のライブ場所だった下北沢)
夢見る少年の気持ちを描いた「空に唄えば」が大ヒット、
その曲を作った少年の気持ちを忘れずに育ったSHOGOさんも父親になろうとしています。
「グループ名の由来」では、「昔の友達のあだ名なんですけど、
グループ名を考えてるときに「イナゴライダー」って言ったら皆が気に入ったので」と。
「思うと、東京が故郷じゃなくて良かった」と語るSHOGOさん、
「九州ぐらい離れると腹をくくれるっていうか、
ちょっとやそっとじゃ帰れないって気持ちになるし、でもちゃんと迎えてくれる故郷もある」と。
「バンドを始めた頃に今の状態は想像できた?」には、
「デモを作って売って、インディーズに行って売ってみたいな過程は思ってましたけど、
この状況は思ってませんでしたね」とのこと。
ライブについては、「CDだと自分達のやりたい事を一方的に送ってるだけで、
皆がCDを買ってるところも実際に見てないし、何万人っていうのも想像できない中で、
ファンと直接会えたり、生の声を聞いたりできるのがライブなので大事ですね」と。
これからの175Rには、「前にどんどん進んでいきます」
「自分の中にネガティブな部分もあって、ポジティブな詞になってるのは自分に言い聞かせてる」と。

地元の北九州で3年ぶりに行うライブへの密着も。
小倉を4人で周りましたが、「東京ではいろいろあるけど、故郷はいつも暖かく迎えてくれる」と。
初のワンマンライブ以来となる地元公演も大成功でしたが、
来月に控えてる初の日本武道館の前にどうしても地元でライブをしておきたかったそうです。

曲披露では、「空に唄えば」では175Rの希望でSax奏者の平原まことさんと共演を。
「PICASSO」には、SHOGOさんが「走り出したピカソっていう詞が浮かんで、
面白いなと思ってそこから膨らませて作りました」と。
「最近、詞やタイトルから膨らませていって作る事が多くなった」そうですよ。

 

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